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ありがとう、お疲れ様です。

 投稿者:ルワンダ  投稿日:2017年11月29日(水)21時45分17秒
  サンドさん、10年越しの文章ありがとうございます。
文字に起こすのも時間と手間がかかったと思います。感謝です。

忘れたことや、知らなかったこと、覚えていたことも、文章を読んでいろいろな感情が。

個人的に今仕事で、インドに携わりながら楽しめていなかったんですが、サンドさんの文章とともに旅の想い出が、仕事を楽しくしてもらってます。とても助かります。

来月にインドに行きます。
インドを尊敬して、日本を尊敬されるように、仕事がしたいです。


また、いつか無理かもしれないけどまさよしさんマニュアルを作りながら、ゼロから旅しましょう!
 
 

2005/03/08 21日目 デリー→東京

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年11月26日(日)18時38分7秒
  ついに最終日。今日も朝早くに目が覚めた。しばらくボーっとしていた。頭の中では"Stand by Me"がかかっていて、この旅を振り返っていた。最初牛や犬を見てワーワー言ってた3週間前が、本当に遠くのことのように思える。しばらくして丸さんも起きた。2、3「最後だ」的なことを話した。朝食は10時にして、あとの二人は今日は起こさない。丸さんはもう1回バザールに行った。俺は洗面台の前で髪を整えたり顔を洗ったりしていた。果てしなく思えた3週間がもうすぐ終わるんだ、と寝ている二人を待っている間ぼんやりと考えていた。9時を回ってか、たけしの声がしだした。向こうの部屋に行ってみると、二人はもう起きていた。丸さんが戻るまでトランプをする。このトランプもボロボロだ。20時間を超える電車の旅には大いに重宝したこのトランプ、3週間とは思えないほど汚れている。皆でダウトをやって、俺が勝ったあたりで丸さんが帰ってきた。とりあえず、飯を食おう。
俺はベジタブルチョウメンを頼んだ。もうブランチだったし。もちろんチャイも。丸さんは中華丼を頼んだ。何で今さら。でも出てきたものは意外とうまそうだった。お金を払ってから、たけしがコックに電卓をあげた。便利だろう(計算ヘタだし)。丸さんは長高ジャージを。コックは「OK」と言っていた。イヤイヤじゃないよね?たけしはまた「ククニーククニー(ひじ、ひじ)」と肘を指さしてコックを笑わせていた。
部屋へ戻り、荷造り。もう準備はできていた。後は行くだけ。フロントで待っているとボスがタクシードライバーが来たぞと教えてくれた。ボスと握手。適当で怖いがいい人だった。コックともお別れ。写真はさっき撮ったので、手を振って別れた。タクシーに乗り込む。狭い道をクラクションを鳴らしまくってメインバザールを抜ける。もう見納めだ。街道に抜けると、どんどんインドらしさが消えていく感じがした。40分ぐらい走って空港に着いた。便はしっかり出るみたいで一安心。休憩所は5時間前から使えるようなので、それまで待つ。インド人がよくわからない英語でまさよしさんに話してきた。「日本にインド人はいるのか」という内容だったようだ。13時30分になって休憩場に入る。すごく心地いい。売店も色々ある。昼にはハンバーガー(野菜のみ)とリプトン(なぜインドに)も飲んだ。しばらくゆっくりしているとやたらはしゃぐ子供が。たけしが色々動いて笑わせている。そこら中を走り回るその子に母親は手を焼いていた。近くまで子供が来て、俺らも笑っていると、母親が「日本人ですか」と聞いてきた。上手な日本語に驚く。なんでも日本に住んでいるそうだ。そのあともその子は走り回っている。大声を上げながら。いつか彼も口を閉ざすのだろうか。その時は頑張ってくれとなんでもないことを考える。
15時30分くらいになって外に出て、ゲートに向かう。チケットを見せて案内されて待っていると、たけしのお土産のラクダの椅子の脚(3本)が凶器とみなされ持ち込めないことに。チェックを受けて3本をまとめられる。これが成田で出てきたら笑えるねと話をした。持ち物チェックは続き、ここでまさよしさんのマサラを没収されてしまう。商品ではないからのようだ。とても残念だ。まさよしさんは何とかレシピを頼りに探すという。レシピを取っていたのは良かったと思う。持ち物チェックが終わるとそこはもう最後のゲート。しばらく待つと飛行機に乗り込む時間に。早いもんだ、これで最後だ…。席はみんなバラバラで、俺は窓際だった。ついに離陸。さよならインド。眼下にデリーの街が見える。あの雑然とした街が、遠くからは夜景がキレイに見える。3週間、あっという間だった。でもとても濃密な3週間。忘れることはないだろう。一冊にもなった日記もある。そこからの空の旅は早いものだった!バンコクまでもあっという間。22時間の列車の旅に比べれば。日本人が増えてきた。後ろのジジイどもがうるさい。こっちはしみじみしてんだ。成田が近づく。本当に飛行機早いなあ。着地も完璧に、全く無事に、俺らはインドから帰ってきた。みんな食べたいものはあるのに食欲がない。「帰りますかぁ!」と電車に乗る。街並みは全く違う。見慣れたものだけど新鮮に感じた。土気につく前、ボックス席の小さい台に卓球道具を乗せて写真を撮った。旅の終わりの一枚。丸さんは俺に、「じゃあな旅人」と言った。お前もみんなもそうだ。あの高3の日々がインドにつながっていた。遅れた卒業旅行だった。意味どうこうより、高校の友達と3週間インドに行けたことが第一に素晴らしいことだと思う。この旅を一言では言えないだろう。誰かと出会って、話をしたり、体験したり痛感したことが全て。とにかく嬉しい。これは一生ものだとはじめからわかっていた。そしてそうなった。ありがとうみんな。丸さんも言っていたが俺も同じ気持ちだ。これからも頑張ろう。そんでまたどっかに行こう。


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12年後のコメント
何だか盛り上がってしまっていますが、こんな旅ができたこと、それが嬉しかったんでしょう。時間が経つとなおさら、あのタイミングでしかできないことができたんだなと思います。「誰かと出会って、話をしたり、体験したり痛感したことが全て」。まさにそんな感じですね。

日記は原稿用紙で90枚ほどになってました。何かを思い出すきっかけになったら嬉しいです。次は他の方の日記を見せてもらったり、思い出した記憶などを忘年会で話せたら良いですね。
 

2005/03/07 20日目 デリー(計4日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年11月26日(日)18時31分53秒
  自由に動ける最後の日。今日はとりあえずお土産を買うことが目標だ。朝7時に目が覚めた。日本ではそんなことはあまりないが、一度で眠気がなくなった。顔を洗ったりしたのち、みんな起きて朝食へ。バナナパンケーキを頼んだ。朝には良いメニューだ。まさよしさんはコックにスパイス(マサラ)の買い方を聞いていた。俺と丸さんは紅茶を買いにコンノートプレースへ。駅から少し行ったところで、環状になっている市街だ。地図ではわからないがかなり広い。早くも迷い、道を尋ねながら行くが、いつまでたっても目当ての紅茶屋に着かない。1時間ぐらいで断念し、昼時になっていたのでマックへ。チキンマハラジャバーガー(辛め)を食う。マック店内は別空間。世界のマック化についてはディベートのテーマにもなったが、自分が食べていては批判もできないので黙るしかない。トイレにはセンサーが。逆カルチャーショックだ。やっぱり周りのインド人もどこか違う。外へ出るとそこはまたいつものデリーだ。地下道には乞食がいる。階段のところに右腕の全くない背中を見せる人が。丸さんも俺も通り過ぎたあと、「ヘコむな」と言ってしまう。昨日のジャマー・マスジットにも四肢がない人がいた。目をつぶってはいけないのだ。こういう人もいる。俺はそんな人もいる中で健康だ。なんだか申し訳なくなる。俺はこの体に見合った努力をしているだろうか。申し訳なくなってもしょうがない。何もできないんだから。自分に問いかけたことはそんなことだった。
今度は丸さんが昨日行った店へ。かなり迷ったがなんとか着く。店内はとても綺麗だ。日本語を話せる人がいた。ベラベラだ。試飲させてもらったところ、マンゴーティーがとてもうまかった。値段は425ルピーって高いな!と思う。しかし高級のようだし、確かに味も良い。変な置き場所に困るものくらいなら美味しく飲める土産がいいかなと思い、ほとんどの土産をお茶にすることに。スパイスがブレンドされたマサラティーというのも今まで飲んだことのない味だ。これなら文句ないだろ。高いけど。今まで買ってなかった分ここで使う。店を出て、丸さんとはここで別れる。俺はリキシャーでメインバザールまで戻り、ホテルに荷物を置いた。たけしとまさよしさんはもう戻っていた。しばらく休んだ後に、俺は額に貼るシールと土産のタバコを買いに行った。近くの出店では母親が娘に勉強を教えながら売っていた。しばらく見たあと、5つぐらい買った。タバコ屋では20ルピーの10本入りを5個。試しに吸ってみた。隣のじいちゃんと軽くおしゃべりした。本当に、いい人もいれば力の限りダマそうとするやつもいた。豊かな国から来たカモだから当然ダマしたくもなるだろうが、アーグラーの親父が言っていたように、お互いを尊敬できたらいいのに、と思った。「ナマステ」で両手を合わせて拝むポーズは、相手を敬っての気持ちの表れらしい。これから先、その心をもっと持てたらいいね、お互い。
丸さんは日が暮れてから帰ってきた。マダムとか言われてんだから心配するわ。みんなで最後の晩餐へ。チキンカレーのオーダーが四つ重なる。まさよしさんは作り方を見にキッチンへ。俺も少し見た。カレーはやはり辛かった!比較にならん。なんとか食べて一休みしていると、"Stand by Me" がかかった。あぁ、俺は多分このことを忘れないなぁ、と思った。丸さんもこの曲は大好きだ。ついに明日、日本へ帰る。長いようで短い3週間だった。


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12年後のコメント
まさよしさんもデリーでマックに行っていたとのこと。俺もほとんど同じ感想でした。その直後に地下道で見た光景とのギャップはよく覚えています。何という格差。
あとこの日の思い出といえば、"Stand by Me"がかかったあの瞬間。日記に書いてあるように、今でも心に残っています。
 

デリーではマックを食べました。

 投稿者:まさよし  投稿日:2017年11月19日(日)00時01分41秒
  マックのセットが150ルピー。2日目だったかに泊まった最も劣悪なホテルの1泊が100ルピーという物価の違いに衝撃を受けたのは今でもよく覚えています。何より、マックのセットがインド旅行で一番美味しかった。店も綺麗。

教育とか経済でインドは発展してるイメージがあるけど、そう簡単に格差社会は変わらないよね、という現実も一緒に味わいました。

ラクダ体操で怒られた人の帰省予定は12月29日~1月3日です。
 

(無題)

 投稿者:ウルトラマン商店街  投稿日:2017年11月13日(月)06時08分42秒
  やりましょう、たけし携帯変わった?なのでyahooメールだったかにも入れました。
8月以降、足元までずっとトタバタ。なんなんでしょう。
飲みましょう。出来れば金曜ですかっとがいいですか、日程調整しましょ。
ラクダ体操で怒られた人、帰省のご予定あるだろうか。
 

忘年会

 投稿者:たけし  投稿日:2017年11月 6日(月)07時23分52秒
  インド人コックによる、鳥の食べ方レクチャーは勉強になったと思います。

ところで忘年会やりたくないですか?みなさん?

インドの写真と思い出持ち寄って、キングフィッシャーで乾杯しません?

丸さんいかがでしょうか?
 

2005/03/06 19日目 デリー(計3日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年10月29日(日)15時41分55秒
  7時半頃起きて、チャイを一杯飲み、カットレットを食べた。いよいよデリーは近い。それまでは本を読んだり、大富豪をしたりして待っていた。着いた駅はニューデリーではなく、近くの小さな駅。降りるとそこは初日や二日目に見た、混雑したデリーだった。排気ガスで少しくもって見える。リキシャーを捕まえ、メインバザールへ。懐かしく感じる。日曜日だったからか、この前よりも活気があるようだった。前回泊まったホテルへ。コックに会うとすぐに思い出したようで、久々の再会を祝った。チェックインし、昼飯を食うことに。まさよしさんと丸さんは「チキンカレー」。俺は「トマトチーズスパゲッティ」。もうカレーはごめんだ。たけしは「スパニッシュライス」。二人の冷たい視線を浴びながらも食べ終える。これから夕方まで個人行動をすることに。
俺はリキシャーでガンディー博物館へ。50ルピーで料金は固定とかいうリキシャーだったが、目的地には着いたので払っておく。中に入ると、静かな公園のようだ。左に銅像が建っている。館内に入ると、メガネ、杖、懐中時計などが、フォークやスプーンとともに額に納められていた。写真室に入った。左手にいきなり、「国の父の最後の旅」と題された、ガンディーの国葬の様子が収まった写真が。沢山の花に包まれているガンディーを、何千人という人達が囲んでいた。いくつかガンディーの言葉を読んだが、その立ち居振る舞いといい、凄まじい境地だ。「もし暗殺されても怒りはない」と言ったという。また「救いようのない知恵より死がいい」と言ったと書かれている。ただ祖国のため、このいくつもの宗教と人種が混ざった、混乱の国の未来を案じていた。「私はすべての宗教を尊敬している。その根底にあるのは平等と隣人愛だ」。俺の英語力では細かいところまではわからないが、こういうことだろう。あなたの思いが今の世界にもっと響いたならと思う。紛争の大きな原因は人種と宗教。この違いをまとめようとしたガンディーの考えは、今日に通じるものがあるだろう。外へ出ると、小道に足型が。最後の日の足取りらしい。夕方、祈りに行く途中で彼は殺された。その場所には墓碑が。立派で有能な人間がその行いに報われず命を落とす。この世での悲劇だ。涙よりもただ残念な悲劇。こういう偉人がいたことは忘れてはならないことだと思った。
すべてを回って博物館を後にする。その後ジャマー・マスジットへ。外観は、というか、タージ・マハルを見てしまうと何もかも雑に見えてしまう。ただ、お祈りしている人がいて、生活に根ざしている感じは良かった。この日はフリーマーケットで、多くの人がパチモンらしきものや古着をしきりに売っている。この混雑、まさにインド。フリマを抜けて、サイクルリキシャーを二度値切り、メインバザールへ帰還。ホテルへ戻ると、まさよしさんとたけしがいた。たけしもガンディー博物館を見てきたようだ。しばらくして丸さんも帰還。夕食を食べに。すると、ウェイターがたけしの親子丼と相席した日本人のオムライスを間違えるという事件が。彼は本当に間違えていた。コック爆笑。こいつは面白い奴だよ。まさよしさんはコックにカレーのレシピを聞いていた。明日はついに自由に動けるラストの日。たくさん買い物をしよう。名残惜しくなってきた。


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12年後のコメント
ジャイサルメールの荒涼とした空気に触れたあとでは、排気ガスで一杯のデリーはなんだか憂鬱でした。
ガンディー博物館に行って、彼の思想に感銘を受けていますが、つくづく超人的な方だと改めて思います。本当の意味での平和主義を掲げ、それを他人にも求めるというのは、途方もなく厳しいことですね。
他の皆さんはデリー観光でどこに行ったのでしょう?
 

2005/03/05 18日目 ジャイサルメール→デリー

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年10月29日(日)15時33分31秒
  一晩中蚊が耳もとで飛んでうるさかった。股は筋肉痛だ。今日はジャイサルメール最後なので、10時チェックアウトののち城へ向かい、16時の電車に乗る。朝食をとりに屋上へ。いつも同じ服のにーちゃん(俺に「病気か?」と聞いてきた)がいた。トースト&ベイクドビーンズとチャイを頼む。よく晴れている。暑くなりそうだ。
荷物を預け、城へ向かう。ホテルから大した距離はなく、すぐに着いた。石畳は滑らかで、坂道ではよく滑る。城はあまり大きくはない。出店や民家、ホテルなどで埋められている。中央広場で個人行動。30分後に集まることに。俺は西側の袋小路へ。ポストカードをよく売っている。登ると眺めが良さそうな階段はだいたい民家の中で、登るのは無理だった。途中たけしと会う。中央広場でまた別れた。今度は東へ。迷って、すぐ戻る。南方面は電線が低い所まであったが、それをくぐるとサバンナが一面に見えた。城壁に座っているとインド人が。タバコをもらう。当たり障りのない話をして別れる。気持ちのいい奴だった。30分経ったようなので中央広場へ。まさよしさんがいた。土産屋を見ているとたけしと丸さんも来た。みんなもう少し見て回りたいということで、12時にホテルの上のレストランに集合ということに。俺とたけしは入り口近くの革カバン屋へ。覗いていると、店主が来た。ここでたけしは別の店へ。俺は店内に入り、しばらく見ていると、カバンを指して店主が「ダルカライト」「ダルク」としきりに言う。俺が分からなそうにしていると、「お前が英語ができないから分からないんだ」と言ってきた。ムカッとする。すると、カバンの表の色の濃い方を指して「ダルク」、裏の色が薄い方を指して「ライト」と言った。あぁ、darkか!と納得。お前の発音が悪いんじゃ。そこで、「インド人は『r』を『ル』と発音するだろ?俺らは『ダーク』というんだ」と言った。すると「ここはインドだ」と言う。「そうだね、そうだね」と言っとく。無駄な会話だ。カバンをしきりに勧めてくるので、「刺繍があるやつはいいが、他はどれも同じに見える」と言って出る。店主は不満そうだった。
再び城内へ。丸さんと会う。ビューポイントは見ものだと聞き、東南方面のレストラン屋上へ。そこから見える景色は最高だった。ジャイサルメールの街並みを眼下に、遠くまで見える。店主にコーラを頼んで飲む。気分がいい。店主はいい人だった。そろそろ時間と思い、城を出て戻ろうとすると、迷った。城の見える方向が違うことに気づく。散々歩いた挙句、リキシャーを拾いホテルへ。下からみんなが見える。もうとっくに集まっていた。たけしとリキシャーの中から目が合った。笑ってる。レストランに着いて「迷った」と言うと、みんな予想通りの言葉だったらしい。
昼飯を食って、灰皿のお土産を買うために城へ。まさよしさんと同額の100ルピーで買う。気がつけばもう15時。駅に行かなければ。ホテルで集まり、リキシャーを拾うと明治大の人もいたのでいっぱいで入れない。するとホテルのジープが来て送ってくれるという。でも金はとるのか。ちゃっかりしてるなあ。駅に着くと電車はもう来ていた。SA1というクラスは2ndよりも席が広く、毛布もある。さすが1101ルピー。売り子も「チャイチャイ」うるさくないし、色々売ってるし。カットレットをパンに挟んだやつは辛いがうまかった。暇つぶしに4時間もブラックジャックをやる。たけし大負け。22時、ジョードプルで少し席移動。そこから先はもう寝るだけだった。再びデリーへ。ついに帰ってきた。旅は大詰めだ。


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12年後のコメント
城壁で会ったインド人にタバコをもらったこと。日記ではさらっと書いていますが、これは彼が今まさに吸っているタバコを、こちらにそのまま差し出して来たのでした。一瞬だけ、受け取るのをためらった自分がいましたが、これは躊躇してはダメだととっさに判断して、受け取ってすぐに吸いました。その後彼はまたタバコを吸い出して、一緒に座って何でもない話をしたのを覚えています。インドに着いて間もない頃だったら、できなかった会話だったかもしれません。皆さんのジャイサルメール最終日はいかがだったでしょうか。
それにしてもブラックジャック4時間ってやりすぎじゃないですかね。
 

(無題)

 投稿者:ラクダ体操を傍観していた男  投稿日:2017年10月29日(日)15時26分3秒
  ラクダ体操にまつわる二人の思い出、面白かったです。

まさよしさん横乗りのくだり覚えていたんですね。「よみがえる思い出」、良いタイトルです。
 

よみがえる思い出

 投稿者:ラクダ体操で怒られた男  投稿日:2017年 9月26日(火)20時15分56秒
  まずは、日記投稿まだできてなくてすみません。


砂漠の旅、砂川がラクダに横のりしたときのくだり、思い出し笑いしました。懐かしいな。

そしてラクダ体操。あのときも反省したし、今でも反省してます。

促されてやったのか…?そこは曖昧ですが、『いけるっしょ!』的な軽いノリでやったのは事実。

ラクダ使いに『ラクダは一頭8,000ルピーするんだぞ!生活の糧なんだ!』みたいなこと言われて本当に申し訳ないことをしました。

…でも後悔はしてません。
 

旅のハイライト!

 投稿者:ラクダ体操を促した気がする男  投稿日:2017年 9月26日(火)18時03分10秒
  キター!
旅のハイライトですね。

ラクダ体操をまさよしさんに促した気がします。ラクダのコブをあん馬にして体操をお願いしたような…。
でも相当へこみましたよね。大人になってきちんと怒られるとへこみますからね。
いろいろとすみません… まさよしさん。
 

2005/03/04 17日目 ジャイサルメール(3日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 9月24日(日)19時10分54秒
  寝れるかなと思っていたら案外熟睡だったらしい。でも夜中にも目が覚めて、月が見えているのに気づいた。そういえば昨日ラクダ使いのヒゲオヤジが、「月の見えるポイントに連れてってやるから100ルピー」とか言ってた。その頃空は星しか見えてなかった。それを突っ込むと、「神の力で見せてやる」とか言い出す。勘弁してくれ。「OK?」としつこいので即「No」で返す。他にも「チャイのおかわり9ルピー」とか。「ジョーク、ジョーク」ってお金のジョークは通じないぞ。
朝、日の出前に砂丘を散歩。東の空がピンクに光り出す。夕陽より晴れてて綺麗だ。砂丘から日が昇るように見えるポイントを探してから、写真を撮る。他のみんなも砂丘をふらついている。夜はとても寒かった。ボトルの水が冷えたほど。みんな風邪は引いてないようだ。朝食はホカホカのゆで卵が出てきた。これはうまかった。何だかキャンプでのウマいメシって感じ。他はジャムトーストにクッキー。みんな平らげる。その後砂丘をバックにみんなで記念撮影。ゴールの記念って感じだ。たけしはヒゲオヤジと格闘しているポーズを撮った。オヤジが「お前が勝ったと写真を見せた人に言っとけ」と言ったが、たけしは「イエス、ユーウィン」とまったく噛み合ってなかった。面白いけどさ。これから2時間ラクダに乗って、それからジープでホテルまで、という感じ。アビディ達は4日いるらしく、ここでお別れ。飽きないかい?と思いつつ手を振る。
ラクダに乗ると、若いラクダ乗りがいきなり飛ばし出した。俺も縄を振り回し、ラクダの首に打ち、声を上げると走り出した。ケツが飛び上がり、思いきり打つ。1秒に2回ぐらいケツを打っていると、痛くて走るどころじゃない。しかし、別グループの二人乗りしたインド人が煽ってきやがった。腹が立つ。もう一回縄を勢いよく打ちつける。走る走る。痛い痛い。股も裂けそうだ。走って走って、一段落した頃にはまさよしさんたちを大きく離していた。たけしも走ってきたので、ケツが痛そうだ。みんなを待って、再び歩き出す。少し行ったところで横向きに乗り直すと、股が閉じられるので思わず「楽っ!」と言ってしまう。たけしとまさよしさんが反応。「ラクダに乗って何だって!?」としつこく聞いてくる。それだけは言ってなるものか。また別グループが見えてきたので、ラクダ使いが走り出した。縦に並んでいるので俺のラクダもつられて走る。もうホントに痛いから!と先頭に言うと、「寝りゃ治る」と言い出す。このヤロウ慣れてるからって…。ずっと走る。もうどうにでもなれという感じ。先頭グループが止まった。俺らも少し先で止まる。するとラクダ使いは「勝ったな」と嬉しそうだ。どうでもいいから。ここにジープが来るらしい。みんな降りて、股が痛い、と言う。ラクダも座って歯を擦り合わせ出す。固いものでも食っているようだ。ラクダ乗りと記念撮影。ジープが来るまで寝っ転がる。視界が開けている。360度何もないサバンナ、空は真っ青で雲一つない。丸さんは遠くで寝ている。たけしはマジで寝ている。みんなクタクタだ。1時間弱してジープが来た。ラクダ使いともお別れ。そこからホテルまでは近いもんだった。早いなあジープ。早速昼飯を食う。クリームパスタとポテト。全然ウマいなー。
昼寝した後、サンセットポイントへ。城が夕日に映える。町の人も見に来るんだ。夕日が沈んで、ホテルへ向かう。オレンジのソフトクリームを市場で買った。ウマかった!シャワーの後、夕食へ。日本人二人と合流。ウスイくんは矢部に住んでいるという奇遇。楽しく話をする。旅ってこういうところもいいなあと思う。明日はもうデリーだ。早いなあ。


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12年後のコメント
思わず写真を引っ張り出してしまいました。砂丘の朝日、絶景でしたね。これは言葉ではなかなか言い表せない。この日記では、温かいゆで卵の味や痛かった股、たけしと現地の方とのよくわからない会話など、そのあたりが補完できればと思います。
これだけ色々書いているのに、まさよしさんのラクダ体操を日記に書かなかったのは何でなのか謎です。いつも穏やかな顔をしていたラクダのマジギレ顔、本当に怖かった。そのあとラクダ使いにもめっちゃ怒られましたね。
 

2005/03/03 16日目 ジャイサルメール(2日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 9月24日(日)18時49分57秒
  6時くらいに別の部屋の目覚ましで起きた。7時半にジープがホテル前に来るらしいから、急いで準備。一度チェックアウトの形をとり、荷物は倉庫に置いておく。持っていくのは貴重品、カメラ、水だけ。外に出ると、複数の外国人(ほとんどフランス人)と1人日本人がいた。この日本人は明治大らしく、昨日たけしと話したりしていたそうだ。
ジープが来た。荷台の上に毛布や水のタンクをどんどん積んでいく。すべての準備ができて、出発したのは8時ぐらいだった。市街地(それほどでもないが)を抜けると、だだっ広いサバンナが広がっている。そこにアスファルト一本、の様な状況。途中、ドライバーに2箇所別の見所に連れて行かれた。新たにチケットなんて買うか!しかし乗り合わせたフランス人の夫婦らしき人たちは行っていた(夫はシリル・アビディ似)。1時間から2時間ほど走って、ラクダ達が待つポイントに到着。7、8頭はいる。みんなのんびりとした顔だ。ラクダ使いにバナナを配られて食べる。青々とした味だった。たけしが皮をラクダにあげようとしたが、そっぽを向かれていた。ラクダに乗る前にトイレに行っておく。背の低い草木に隠れる。サバンナにはもはやそれしかない。こんなところでラクダに乗るなんて漫画みたいだ。不思議な感覚だった。ラクダ使いに促され、乗ってみると、ラクダが立ち上がった。前足を立てるときは前に傾き、後ろ足の時は後ろに傾く。前後してかなりの高さまで視点が上がる。やっぱりラクダはでかい!歩き出すと、すごく前後に上下に揺れる。楽しんでいるのは最初だけ、これはすごく股が痛いんだと気づく。進んでも進んでもひたすらサバンナ。途中、休みを取って岩に座っていると、鳥の残骸が。サバンナでは普通の光景なのだろう。そこからまた延々続くサバンナ、サバンナ。砂漠なんてあるのかと不安になりだす。たけしは早速「飽きた」とぼやいた。俺もちょっと思っていた。
昼時になると、太陽も真夏みたいに照って、頭がボーっとする。股も痛い。ラクダは平然と歩いている。昼食のため、木陰で休む。ラクダも鞍を外され、周りの草などを食べている。1時間くらい待ったか、木の実などを拾って食ったりもした。たけしは「リンゴだ」と言っていたが、「違う」と言わせてもらう。出てきたメシはカレー味ラーメンの麺、じゃがいもとキャベツを煮たもの、チャパーティーだった。フォークなどないので、チャパーティーで寄せて食う。マズい。何かジャリジャリいってるぞ。チリソースを勧められたが、当然断る。食った奴は終始「辛い」と言っていた。だから言ったじゃないか。そこら辺に穴がある。蛇らしい。丸さんはかなり警戒。毒もあるとのこと。やはりサバンナ、厳しいなあ。まさよしさんは何度も「無事帰れればそれでよし」と言っていた。
再び出発したのは14時ぐらいか。まだまだサバンナは続いていく。小山を越えれば砂漠か?と思ってみても、そのまた次もサバンナ。みんなの顔に疲れが。ただ、ラクダに付けた鈴の音がしていた。さらに行くと、目の前に砂丘が見えてきた。アビディもテンションを上げてラクダを急がせる。砂丘すげーと思っていると向こう側には、サバンナが。アビディ絶句。みんな絶句。一体いつまで…。そこからさらに1、2時間、見えてきた、大きな砂漠(砂丘?)が!ラクダを降りる。その砂は細く、風で模様ができている。変な虫の足跡も。砂丘を登ると向こうには…サバンナ。もう夕暮れ時、西の空は曇り始めて夕日もあまり見えなかった。でもここが旅のゴールという気がした。夕食はやはりマズい。暗くなると、星がどんどん見えだした。毛布にくるまって21時には消火。眼鏡を借りて星を見た。近いとはこういうことかなと思う。旅の終わりが近づいている、としみじみする。


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12年後のコメント
キャメルサファリを追体験できたでしょうか。延々と続く憂鬱なサバンナと、それを乗り越えた先にあった砂丘、全部引っくるめてのイベントでした。なかなかできない経験をしたなとしみじみします。
 

2005/03/02 15日目 ジャイサルメール

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 8月27日(日)23時05分22秒
  なぜか白人のおばさんが「ここがジャイサルメールよ」と起こしてくれた。着いたのは6時前で、外はまだ暗い。前日シッツラーを食って吐いた丸さんはまだ調子が悪そうだ。駅に降りると、今までの都市とは明らかに違う。人も少なく、周りに建物も少ない。静かなところだ。リキシャー誘いはホームまではいなかったが、ホテルの誘いはいた。ルンギを着た奴は「それ、チクラレカタ?」と『地球の歩き方』を指して、これにうちのホテルが載ってるとしきりに日本語混じりに言う。今までの経験からしてこういう奴は怪しい。無視しておく。待合室が空いた。8時にブッキングオフィスが開くので暇つぶしに「チャイ賭けポーカー」と「お使いポーカー」をやった。金は負けたがお使いは勝ったので、パシリみたいになった(たけしが)。でもまだチャイは売ってなかったので、やむなく戻ってくる。
8時になり、窓口へ。しばらく遊んでいたのだが順番になった途端たけしが呼んできた。俺も話に参加。聞いていると、なんと11日までチケットがないという。そんなバカな。何日先だ。窓口の奴は冷たく、何の提案もしてくれなかった。ただ俺らを追い返しただけだ。席のクラスを上げたらどうかと思い、再度並ぶ。長ったらしい待ち時間が過ぎて、再び奴の前へ。一番上のクラスは1席しか空いてないという。他にも1日ずらしたらどうか、経由ではどうか、調べてくれと言っても、目をひんむいて何か返してくるが英語が下手でわかんねーよ。すると一人のヒゲのオッサンが、「どうしたいんだ」と助けてくれた。彼はクラスを上げるのはそうだが、同じ電車でジョードプル経由の形をとり、席を移動するという風にしてくれた。少々高くついたが、乗れるだけ十分。手を合わせてお礼をすると、オッサンは颯爽と帰っていった。本当に感謝だ。こういう人もいれば窓口のアホみたいに冷たい奴もいる。わからないもんだよ。必死で話したのでクタクタになった。まだ9時ぐらいだったが、もう寝たかった。
リキシャーを拾い、目当てのホテルまで。町並みはやはり他に比べると静かだ。乾燥地帯らしく、レンガの色も乾いた感じで、全体的に中東のようだった。ホテルの近くにはイノシシもいた。リキシャーに金を払い中へ。部屋までは狭い通路や入り組んだ階段があった。不思議な造りだ。オーナーは「先に朝食をとって、チェックインは後でいい」と言ってくれた。屋上のレストランへ。南の方に、丘に建つ城が見える。今も人が住んでいるとか。あそこに行くのも楽しみだ。朝食はトーストにオムレツ、ビーンズとポテトが乗ったプレートを頼んだ。まぁまぁ美味い。レストランの親父は「カタジケナイ」を連発していた。誰から聞いたんだ。チェックインに行くと、キャメルサファリの話を聞いた。日帰りでのつもりだったが、1泊と半日のツアー(750ルピー)もあり、部屋で寝ていた丸さんもやっぱり行きたいとのことで、しぶしぶOKのまさよしさんも含め、行くことにした。それから部屋に戻り、疲れたので昼寝をした。その間まさよしさんは湖に行ったりしていた。起きるともう16時~17時。ホテルマンが水の入ったボトルを指して何か言っていたが、結局わからなかった。伝わらなくてもどかしい。向こうもそんなに英語は上手くはないのだが。18時半になっても日はまだ沈みかけ。西だからな。たけしと夜の市場を歩いたりした。とりあえず明日のキャメル、楽しみだ。砂漠に沈む夕日を見れたら、どんなに嬉しいだろう。


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12年後のコメント
個人的にこの旅一番のピンチはこの日の駅でのやり取りだと思っています。自分も冷静さを欠いていましたが、善意ある人が助けてくれて本当に良かった。
まさよしさんの「しぶしぶOK」がじわじわきますね。一貫してます。湖には自分は行かなかったので、また日記で教えてください。他の個人行動をしていた人もぜひ。

あとたけし、トゥーサンの『カメラ』は俺は持ってないのでインドにも持って行ってないよ。『浴室』が気に入ったから帰国後自分で買ったんじゃない?
 

スイッツラーとストツーと夜行電車

 投稿者:ルワンダ  投稿日:2017年 7月31日(月)07時32分20秒
  10年くらい前のことなんですね。

この掲示板やサンドさん家や丸さん家で飲んで沢山意見をぶつけたのを思い出しますね。
場所があることは幸せだと思います。

インドに自分が持っていった本は忘れましたが、サンドさんが持ってきたトゥーサンの『浴室』、『カメラ』。まさよしさんは石田衣良の『娼年』は記憶に残ってます。

まさよしさんの日記も丸さんの日記もサンドさんの日記も非常に楽しみです~!


ちなみに君の名は、はインドに行く飛行機内で見ました。
同じ監督の秒速5センチなんちゃらと、言の葉の庭も、なんだか繋がってるみたいで、面白いしろかったす。

インドの計画から実行までって、10代後半から20代前半だったんすね。
けっこう、時間経ったんですね。

今年の冬は忘年会やりたいなぁ~
 

2005/03/01 14日目 ジョードプル→ジャイサルメール(夜行)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 7月30日(日)15時38分7秒
  今日から3月。2月の半ばからインドにいて、そろそろ2週間。デリーには6日には戻るので、実質もうカウントダウンが始まっている。今日も丸さんがラジオ体操で起こしに来た。まさよしさんが起きてこない。熱が出たみたいだ。ここにきてのダウンは本当にきつい。今までの疲れが出たんだろう。これでダウンしてないのはたけしだけ。タフだなと感心。3人で朝食を済ませる。今日はまさよしさんのためにもゆっくりとしよう。電車は23時くらいで、ホテルは駅から近いのでギリギリまでゆっくりできる。部屋に戻ってひたすら読書、トランプなどをする。今日はすごく暑い。25度はあるんじゃないか。天井にあるファンを回しながらゆったりしていると、なんだか7月みたいだった。ファンがカタカタと音を立てて回る。落ちてきやしないかと不安になる。それがありえるのもインドだ。
お昼時になり、まさよしさんは寝ているため、3人で別の店に行くことに。初めに行った店にハンバーガーの絵が描いてあったが、見せかけだけでまったく置いていないのだという。何だそりゃ。それにしても店先はひどいハエだ。なんとかしたらどうか。でも店員の一人が、俺が水を手に持っているのを見てビニール袋をくれたのは嬉しかった。お金目当てでもない、たまにこういう人に会うとやっぱり嬉しくなる。店を出て、しつこい物乞いの少年に分からないだろうと思いつつ英語で説教。やっぱり伝わらない。素通りして、コーヒーハウスへ。コーヒーをとりあえず注文。そして南インドの料理らしきドーサも注文。ドーサはクレープのようで、パリパリとした生地に具を包むものだ。俺とたけしが頼んだものはチーズとポテトが包まれたものだった。2つほどソースが出てきたが、そのまま食う方がマシだった。コーヒーは薄く甘い。雑味がする。この時点でコーヒーハウスを名乗る資格なしだが、丸さんはホットも頼んだ。その味はコーヒーというより「湯」。まるで5番煎じのよう。よくコーヒーハウスなんて言えたもんだ。丸さんも10点満点中0点、100点満点中2点をつけて早々と出る。
丸さんはまさよしさんのために氷を探しに、たけしはちょっと前にバザールへ出かけた。俺はホテルへ戻ることに。道は単純なはずだったが、迷ってしまった。途中買ったコーラがこの暑さの中温まってしまった。なんとか屋台の兄ちゃんにホテルの名前入りの鍵を見せ、たどり着く。丸さんも戻っていた。やはり氷はなかったそうだ。たけしも戻り、部屋でまたゆっくり。トランプや読書をしながら、話はそのうち将来の話になった。いつも俺らが将来の話題になると、自分の意見をぶつけ合う討論会になる。それだけごまかさずに話すのはいいことだと思う。何を話したか、書くと長くなりそうだ。やはり話は「どこに価値を置くか」ということが主題になる。でも、俺は丸さんの言うこともたけしの言うことも含めて、悩んでいるんだと思う。丸さんもそうだろうし、たけしもそうだろう。わからないもんだ、とつぶやいた。本当にわからないんだ、先のことは。何かを大成した人は極限の中に身を置く。8年間昆虫を追い続け、その記録を残したファーブルのように。そんな人に憧れもする気持ちは今も変わらない。でも自分がそういう人間でないこともわかっているんだ。さて、この先どうなるか。未来は暗くて明るいなと思う。
話を切り上げ、まさよしさんも加わり、夕食へ。丸さんとたけしは鉄板焼きのようなシッツラーを頼んだ。俺はタンパク質のためにビーンズピザ。部屋には20時半くらいに戻った。23時15分の電車に備えて荷造り。駅に着くと電車はすでに来ていた。乗り込むと俺らの席に軍人が。もちろんどかした。寝転がると、すぐに寝てしまった。


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12年後のコメント
旅の間にも将来のことなどを話していたんでした。旅の一場面として何か思い出すきっかけになればと思います。この話題についてはそれぞれ考えが違うと思うのでここでは深くは触れず、また飲み会のときにでも。

あと、繰り返しになりますが日記は各人のペースで書けばよいでしょう。みんなそれぞれ生活のリズムがあるのだから、特に誰に合わせる必要もないし、読むペースも人それぞれです。
 

君の名は

 投稿者:ウルトラマン商店街  投稿日:2017年 7月30日(日)14時26分15秒
  昨日やっと見ました。感想は置いときます。とにかく
ゆっくり映画をみる時間というのは何とも贅沢です。
この間の3連休で、予定を入れていなかった事で、やっと
色々落ち着ける方向にはきてますが。まだ片付かない。

さて、日記ですが。砂川はもう今年ストップ。
年内はキャプテンの投稿と、俺も盆は実家の日記帳を探して
書きます。色々と引出をあけるのはこわいけど。
加えて、宇都宮がその間(2004年春)、インドに行かずに
何をしていたのか、追想録があります。
 

2005/02/28 13日目 ジョードプル(2日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 7月22日(土)22時45分51秒
  ドアを叩く音で目が覚めた。丸さんだ。たけしが寝ぼけながらも鍵を開けて中に入れると、ラジオ体操をやりだした。元気なもんだ。今日で2月が終わり、旅も終盤だ。10時からブッキングオフィスが開くとのことで、とりあえず朝食をとりにファミレスへ。丸さんはベジタブルチョウチョウ(ラーメン?)を朝から頼んだ。俺はトーストとミネストローネとチャイというまったく保守的な朝食だった。部屋へ戻る途中に駅の方を見ると、人でごった返していた。インドにも月曜朝のラッシュがあるのか。今まであまり平日と休日の区別がついていなかった。それもしばらくすると消えたので予約をしに行くことに。その足でメヘラーンガル砦に行くというのが今日の予定だ。
オフィスに着くと、もはや慣れた順序で予約を進めた。並んでいる丸さんに子連れのおばさんが割り込もうとしていた。後ろのインド人もそのおばさんに怒り心頭だったが、おばさんは平然として子供をあやしていた。丸さんの予約が終わると、そのおばさんは窓口に滑り込んだ。とても速かった。それぐらい並べよな。取れたチケットは明日23時過ぎの電車で、ジャイサルメールには朝着く。丸さんが近くにいた日本人に聞いたところ、ジャイサルメールはとても良いところだったそうだ。一層楽しみになった。
オフィスを出てリキシャーを拾う。最初のしつこそうな奴を無視して次の人に決めたところ、最初の奴がしきりに何か言ってきた。しかし結局2番目のに決めると、最初の奴は不満そうに帰って行った。その接客態度を改めろということだよ。しつこすぎるし変に安いし。砦までは結構距離があった。切り立った丘の上にあるのだが、坂を登る途中に旧市街地を見ると、ペンキで青く塗られた部分がこっちを向いていた。「ブルーシティ」とジョードプルが呼ばれていることは坂を登って初めてわかると本に書いてあったが、まさにそうだった。俺らが「青いよー!」と言っていると、まさよしさんは「ニセモノだ」とがっかりしていた。というのも青いのは一部分だけという家が多く、色も均整が取れているわけではなかった。まあそれでも青いことは青い!俺は結構綺麗だと思った。
砦に着いた。見上げると本当に「砦」だ。建てられてからは600年近く経つらしい。歴史を感じさせる。チケットが250と高めだが、音声ガイドが付いていた(日本語)。しかもインド人の発音らしく、素晴らしい日本語でとても驚いた。いざ砦に入ると、ガイドのおかげで細かいところまで味わえた気がする。砲弾を受けた跡や、最初にあった柵の跡。象の突進を防ぐため直角になった門への道。王妃達が城を去る時の手形。阿片を吸う器具と現在も続く阿片の文化。ムガルとラージプート族(砦の主)との関係。中国からの戦利品(砲台)。歌と踊りの間のステンドグラスなどなど。この砦をとても生々しく感じ、今は平穏な観光名所となっていることに時間の流れと盛衰を感じた。日本の城より生々しく感じたのは、外国ということももちろんあるが、この街自体が今も城下町という感覚を失っていないからだと思う。今も王族は続き、別の宮殿に住んでいる。過去からの流れがとてもよくわかるのだ。昼食をとり、砦を後に。帰りは徒歩。やはり近いとあまり青さはわからない。
ホテルへ戻ると、みんなゆっくりしだした。寝たり、本を読んだり、卓球をしたり。夕食をとりにレストランへ。俺がウェイターにケチャップを頼む態度がまた高圧的だとたけしが言った。俺はそんなことはないと返した。しかしたけしはマットの時とインド人の時との違いを言った。俺にとっては、これはいささかもインド人への強圧的な態度の理由にはならなかった。マットは初めからフレンドリーだった。アーグラーのオヤジや電車でのオヤジもそうだ。会話するうちにフレンドリーになっていく、大抵はそういうもんだ。ただリキシャードライバーや見知らぬ人間については違う。最初はどれもそんな態度からだと説明した。しかしたけしはマットの時は初めから俺はフレンドリーだったと言った。よほど俺の態度が気に入らないのだろう。しかしそれは仕方ない。マットはいきなり息を切らして10分前に出てきたなんて言っている奴だ。それに警戒心を解くのは容易いことだろう。どれもこれも俺には差別心なんてないと言い切れるが、人から見ればそうは映らない。たけしの目や、俺に「怒ってるのか」と初めに言ってきたアーグラーのオヤジ(それはお前が怪しかったからだ)は紛れもない「一般の目」だ。丸さんもまさよしさんもそう感じているだろうし、俺も俺が他人なら同じように腹が立つだろう。そいつが「反省している」と言っても「反省の色がない」と返すのは当然のことだ。じゃあ俺は理解して欲しいのかというと、そうでもない。「あぁ、あいつは本当は考えてるんだな」なんて人に自分から思わせようとするのは、バカバカしいことだ。だから、俺はこれからもあいつらにそう思われていく。それを俺が日々の行動で示していかなければならないということになる。それは日本でのことと何ら変わりはないことだ。この旅での、長い集団生活で、俺の嫌な部分は人に腐るほど見えている。少なくとも4人で一番。わかっててできない、本当にそれはアホみたいに思えてくる。誰かと過ごすことや、異文化の中で過ごすのは本当に難しい。
あぁ、まだまだ俺は何もわかっちゃいない。力を抜こうとすればボロが出て、力を入れれば何も受け付けない。それはこの旅どころかこれからもずっとつきまとうんだろうな。とにかく今日は今日、明日は明日。残り少ない旅を楽しもうと思う。

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12年後のコメント
今思い返すと、確かに旅行中は警戒心が強かったとはいえ、ひどい態度をとっていたなと思います。この日記でも書いているように、似たような振る舞いは日本での普段の生活でもしていたのであって、自分を見つめ直す旅でもあったのだなと感じます。「誰かと過ごすことや、異文化の中で過ごすのは本当に難しい」。これについては今も昔も変わらないですね。
メヘラーンガル砦はガイドのお陰で色々書いていますが、「王妃達が城を去る時の手形」というのは、調べてみると王に殉死(サティ)した時のものだったようです。全然ちゃんとメモが取れてなかった。
「ブルーシティ」のいまいち統一感のない青さ、懐かしいですね。
 

(無題)

 投稿者:津田沼  投稿日:2017年 7月12日(水)21時44分21秒
  まさよしさんお久しぶりです。コメントありがとう。日記楽しみです。

こんな古いタイプの掲示板が時折みんな揃う場所になるのはいいですね。
 

回想。

 投稿者:石川県  投稿日:2017年 7月 8日(土)16時51分11秒
  お久しぶりです、まさよしです。

砂川の日記、かなり細かい所まで書いていたんだね。記憶になかった部分、個人行動をしていた部分などがわかって面白いです。

俺の短くて文章力がなく、インド人を見下しながら旅行していた日記も無事に見つかったので、時間があるときに投稿します。ちょっと読み返したけど、かなり荒い文章。ですが原文のまま載せようかと思っております。
 

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