teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


2005/02/25 10日目 ジャイプル(2日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 4月29日(土)17時52分39秒
  8時に起きて、早速朝食を食べに行こうとすると、まさよしさんが今日(金曜日)が風の宮殿の定休日だと気づいた。どうしようかと悩みつつ、とりあえずレストランへ。トーストとチャイで15ルピーという最安値の朝食を済ます。部屋に戻り話し合った結果、二手に分かれて「チケット予約」か「ホットシャワーが出るホテル探し」をすることになった。俺と丸さんが組んで、ジャンケンで負けてチケット予約をすることに。外に出て、サイクルリキシャーに初乗りする。20ルピーと手頃だったが、そこまで乗り心地は良くなかった。駅に着き、外国人用オフィスを探す。勝手に案内を始めた奴がいて、金でも要求してくるのかと思ったら本当に案内しただけだった。これだからインド人はよくわからん。窓口へ行くと、27日発の電車は2本あり、17時発と24時発があるそうだ。ジョードプルまでは5時間ぐらいかかるため、向こうに夜着くのは危険と見て、24時の電車を選び、別窓口へ出すと、受付に"Tomorrow evening?"と聞かれ、「えー!」と日本語で言う。なんでも26日夜12時を回って27日が始まった直後の便だという。とにかく一旦引いて、丸さんと相談。日付をずらして28日の便にしてもらおうと頼むが、受付はティータイムを取ってしまう。なんてマイペースなんだ。20分後、今度こそ頼むと「席が満席」と言われる。結局明日深夜の便に決めた。再びサイクルリキシャーに乗って帰る。道順でモメるがなんとかホテルに着いた。たけし達ももう帰っていて、ホットシャワーが出るホテルはあったが雰囲気が最悪だったと言っていた。結局ここにもう一泊する事に。お湯はバケツに入れて持ってきてくれるらしい。どんなホテルだ。
昼食をとりにレストランへ。昨日なかったベジタブルチョウメンを頼んでみる。出てきたのは、焼きそば。完璧な焼きそば。味は辛い!めちゃめちゃ辛い。ソースの味なんかしやしない。でも我慢して食べた。二度と頼むことはないだろう、チョウメン。タイムリミットが狭まったので、シティパレスに行くことに。珍しく個人行動。夕暮れまでにホテルに帰るということだ。
ホテルからしばらく行くと、ピンク色の大きな門がある。ここをくぐると旧市街、ピンクシティと呼ばれるところだ。大通りを挟んで左右に商店街が広がっている。壁の色は明るいレンガ色で統一されている。まさにピンクシティ。しばらくは前にまさよしさんがいたので、シティパレスまでの道がわからなくなったら聞こうと思っていたが、見失ってしまう。ここで初めてこの旅で一人になった気がした。しかしだんだんとそれが快感になってきて、人に道を聞きながらシティパレスへと張り切って行った。なんだか楽しく感じた。入って一番に目に入ったのは天文の屋外博物館で、世界最大の日時計がある場所だ(名前忘れた)。チケットを買って中へ。早速日時計に登ってみる。たっけー。階段が急なのでゆっくり降りていると、たけしが声をかけてきた。やっぱり来るよなここは。もう1回登ると風の宮殿が見えた。行ってみようという話になり降りると、今度はまさよしさんに会った。個人行動なのに3人会うとはすごい。まさよしさんは『歩き方』が欲しかったらしい。たけしから借りると、他の展示物を見に行った。俺らは一路風の宮殿へ。途中たけしが靴屋へ寄ったので待っていると、その店の子供が「ギジギジ」とか言ってきた。誰が教えたんだ。しきりに意味を聞いてくるので、とりあえず言うなと言っておいた。2人いたがそのうち1人は将来警察官になりたいらしい。だったらなおさら言うんじゃない。ここはたけしも相場がわからずとりあえず素通り。すると風の宮殿が見えてきた。横から見ると薄い!こんなのに人が住んでいたのか。吹き抜けの数はたくさんで本当に面白い建物だと思った。ただ少し写真より発色は悪かったか。でも俺はここに来れたことが嬉しかった。たけしは靴を見たいらしいので、俺はまたシティパレスへ戻ることに。180ルピーを払いシティパレスの中へ。あまり大したことはなく、すぐ出る。ただ蛇使いとコブラがいて、それは面白かった。白人のおばさん連中に紛れて写真を撮ってしまった。行った道を戻るだけなので特に迷うことなくホテルへ着く。コーラを頼む。また冷たくてうまかった。17時を過ぎて丸さんが帰ってきた。出店で売っていたラクダのTシャツを着ていた。好きだねーラクダ。ジャイプルでは街中を平気でラクダが荷物を引いて歩いている。でかい。他にも牛、馬がたくさんいた。白い牛の肌は何だか紙粘土みたいだった。
みんな揃った後、夕食までしばしゆっくりする。まさよしさんはコブラに触れたらしい。すげーな。たけしは1000ルピーで売ってた靴をその隣の店で200ルピーで買ったらしい。まさよしさんの洗濯が終わって、夕食へ。昨日のベジタブルチョウメンをマッシュルームにして、"less hot"でお願いしてみたところ、食べやすくなって出てきた。やったぜチョウメン。ウェイターさんはプロっぽくていい。暗記でメニュー取るし。夕食後バケツでお湯を持ってきてもらって、それで風呂とする。15リットルをうまく使って何とか入った。水より全然マシ。
インドも10日を過ぎて、残り2都市。熱とか腹痛を乗り越えてやっと慣れてきた感じ。10日前のことをこんなに昔に感じることはそうないと思う。明日は山の上の城に行って、夜行でジョードプルへ、か。慣れたもんだなー。


------------------------------
12年後のコメント
チケット購入の悪戦苦闘や、個人行動の面白さなど、色々と満喫した一日。たけしは何でこんなに靴に固執しているんでしょうか。丸さんはどこに行っていたのでしょうか。まさよしさんはシティパレスで何を見ていたのでしょうか。思い出したら補足してください。
 
 

2005/02/24 9日目 バナラシ→ジャイプル(夜行)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 4月29日(土)17時44分41秒
  夜中起きると、毛布がはだけていた。風邪をこじらせてしまったら大変だとすごく慌てたが、あまり変わりはなかった。しっかり被って寝る。また起きると、今度は7時ぐらいで、ちょうどアーグラーに着いたところだった。ここでマットとはお別れ。彼はタージ・マハルをとても楽しみにしていた。いいとこだから、楽しんできてと言っておいた。それでも朝は早いのでもう1回寝る。すると9時。もう1回寝る。11時。そろそろ着くかなあと思っていたのだがまったく着かない。12時13時を回ってもまだ着かない。もしかして過ぎた?なんて思ったり、かなり不安になる。結局着いたのは15時だった。22時間の電車の旅!本当に長かった。
ジャイプルに着くとやはりリキシャーはしつこかった。しかし街並みはどこか新しく(こちらはピンクシティと呼ばれる方ではないらしい)、バナラシより幾分マシだった。途中エア・インディアでリコンファームを済ませ、ホテルへ。結構近くて楽だった。部屋はまあまあ。とりあえず1日ぶりのメシを食いにレストランへ。誰もいなかったのでわざわざ呼び出す。注文しようとすると、どのメニューも「ありません」「切らしてます」の連続。結局みんなトーストやサンドイッチ。「このメニューは何なんだ」と言ってみる。でもコーラは冷えてて、長旅の疲れを癒してくれた。
昼食が16時ぐらいだったので、もう辺りは暗くなりかけていた。丸さんと服を探しに外に出るが、何も見つからずすぐに帰る。それからしばらく屋上で卓球をやる。たけしとまさよしさんは駄菓子ばかり買っていた。ピンポン玉も見えなくなってきたので中へ。しばらくゆっくりした後、夕食を食べる。まるで朝食のようなメニューだった。もう遅いので就寝、ということになった。明日は風の宮殿に行こうという話だ。


------------------------------
12年後のコメント
この旅一番の長距離移動で、ほとんどそれで終わってしまった日。車中では本を読んでいたぐらいしか覚えていないですが、何をしていたんでしょうか。あまり印象にないから書いてないと思うのですが。
この日飲んだコーラの味は忘れられないですね。長旅の後、やっと着いたレストランで、冷たい瓶を手に取った感触まで蘇ってくるようです。
 

国外逃亡2017GW

 投稿者:ウルトラマン商店街  投稿日:2017年 4月27日(木)21時03分44秒
  サンドさん日記、書きたい事はやまやまだが休み明けにします。
明日から家族旅行@フィリピン を満喫します。
アジアの喧騒の中で、又思い出しときます。


 

サザエさん

 投稿者:ルワンダ  投稿日:2017年 3月27日(月)20時45分23秒
  サンドリバーさん

続きありがとう。
やっぱり読んでて、楽しくて切なくて、サザエさんのような、冒険小説のような、卒業文集のような。

今、仕事で踏ん張れてるのも、皆でインドに行けたこともあると実感してますわ。


続き楽しみです!
 

2005/02/23 8日目 バナラシ→ジャイプル(夜行)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 3月26日(日)19時15分9秒
  早起きして沐浴を見に一階へ行くと、昨日の船主がドアの外にいた(ドアは閉まっていた)。「何でいるの」と聞くと、「君たちを待っていた。ボートどう?」とか言っている。ゲストハウスまで追ってくるなと日本語で言う。門番は寝ていて、後で来た外国人女性が起こしてくれた。
外へ出てガートに着くと、沐浴をしている人がいない。しかし南の方にボートが集まっていて、時々フラッシュが焚かれていた。「あっちで何やってるの?」と聞くと、船主は「プージャ」と言っていた。プージャはどこかで見たが祈りという意味で、泊まっていたゲストハウスも同じ名前だった。しょうがないので「あっちまで船を出してくれ」と再びボートに乗る。少し進んでいくと、花を盛った器にろうそくで火をつけた灯篭のようなものを配るおっさんがいた。船を寄せられ、全員に配られる。とりあえず灯籠を川に流して、船を行かせようとすると「20ルピー」と言い出す。何で先に言わねーんだ。水上で揉めてもしょうがなく、おとなしく払う。再び進むと、不浄の岸の方面から朝日が昇ってきた。本当に綺麗だった。夕日も朝日も見られて結構満足。肝心の沐浴は泳いでいるような子供もいれば、死体みたいに浮いているやつもいて様々だった。生活の一部、ずっと続けている習慣なんだなと感じる。そこにいろんな国からの観光客がフラッシュを焚いて写真を撮るのは奇妙だなと思う(そのうちの1人だが)。もう何千年続けてきているんだろうか、この人達は。大きな流れを感じた。しかしこの聖地、人々は平気で物を捨て、噛みタバコの唾を吐き、川はどんどん汚されている。これは観光客のせいだけとは絶対に言えないと思う。不浄の地だけ綺麗にして(不浄の地なのに。とはいえそこにもゴミはあったが)対岸や川を汚すなんて、なんだか本当に聖地と思っているのか、不安になった。なってもしょうがないんだけど。
船を引き返してもらう。船主はたけしのGショックが相当欲しいみたいだ。あげないけど。船を波止場に寄せると、そこには何色もの花の首飾りが浮かんでいた。きっと火葬場から手向けとして流れたものだろう。こんなに近くで腐っていくなんて…。朝食をとりにゲストハウスへ。レストランでは猿がたくさんいた。途中物をパクられそうになった人もいた(気をつけろよ)。咳がひどくなってきた。レモンティーを飲もうと店員に頼む。この前は持って来るのが大分遅かったので、「食前に持ってきて」と英語で言うと「何を怒っているんだ?」と返された。たけしやまさよしさんにも言われたが、俺の英語は挑発的らしい。必死で喋っているので語気が強まってしまうし、目つきは悪いし…。ああ、ここでもこんな悩みが。そんなつもりはないんだけどな。気をつけよう。部屋に戻って、荷物をまとめ、シャワーを浴びて12時にチェックアウト。下に降りるとたけしがサンチャと呼んでいる子供がいた。三茶とか世田谷とか言わせてわけが分からない。サンチャに丸さんの邪魔になっていたボールをあげる。握手したあと、昼飯どうするという話になり、結局レストランに食べに戻る。サンチャは笑っていた。スパゲッティが一番安全と思い食べる。丸さんはしばらく腹を壊している。もう食事は楽しみではない。大体全部マズいから。日本食がみんな恋しくなっていた。このレストランではたけしが"Katsudan"を食った。うまいとか言ってたけど、どうなんだろう。やっぱり本物が食いたいなー。
外へ出て、俺が行ってなかった火葬場へ行くと、複数の15歳ぐらいの少年が必死に「ノーフォト、フォト、ノー。家族怒ってる」と日本語混じりにしきりに言ってきた。そのくらいの常識はあるんだが、ないやつもいたんだろう。それにしてもお前らうるさい。もうわかったって感じだ。ガートの下では火が焚かれている。死体までは見えなかったが、見れたからラッキーとかそういう問題ではないので特に何もない。ただこうして公にされた死が毎日のように目に飛び込んでくると言う状況は、日本ではない。日本では非常に隠しがちである。どんな風に死を意識しているのだろう、この子たちは。自分もいつかはああなるし、子供のうちから死ぬ人だって大勢いるということをわかっているはずだ。それをしょうがないと思うのか、どうなのか。川に生まれて川に還る。もう決まっているんだろう。それが彼らの価値だから。大きなヒンドゥーという流れに自分は乗るだけという価値は、俺らとは遠く離れた場所にあるなと感じた。こうして死をあからさまに感じることは、決して悪いことばかりでもないだろうとも感じた。火葬場を出ようとすると、一人のガキが何か金がらみのことを言ってきた。お前こそわかっているのか、ここは火葬場なのに。悲しくなるアホもいるもんだ。そうせざるをえないことにも悲しくなる。
ガート付近の袋小路を抜けて、あの憂鬱な排気ガスでいっぱいの大通りへ。今日の列車はずっと乗るし寒いだろうということで、毛布をみんな買う。60ルピー。バスマットみたいな素材だけど、これだけでありがたい。駅にはリキシャーを拾って行った。もうこの喧騒と排気はたくさんだ。口にずっとルンギを当てていた。駅に着き、列車が来るまで2階の待合広場みたいなところでポーカーをしたり寝たり、たけしは長旅に備えてビスケットを買ってきた。そこらへんの飯より全然マシだった。
時間になり、席を見つけ発車まで待っていると、かなり急いだ感じの白人男性が走ってきた。背が高いにーちゃんだ。「10分前にゲストハウスを出てきたんだよ」と言っていた。このにーちゃんと話をしていてわかったのは、名前はマットで29歳。オーストラリア人でエンジニア。東南アジアをずっと旅しているらしい。一番良かったのは中国で次はマレーシア、3番がラオスらしい。ただシンガポールのことはつまらないと言っていた。機械的だったそうだ。テンガロンハットがよく似合う男前だ。ヒマになるとニョロゲームをケータイで遊んでいた。遊ばせてももらった。オーストラリアの英語は難しい!速いし発音も特徴的だ。かなり苦戦した。しかし良かったのは名前を聞かれたときに、「意味はあるの」と聞かれ、自分の名前を英語で説明した時だ。俺はひとつひとつの漢字を分けて説明し、それに合う単語を当てはめた。マットはその英語の響きが気に入ったらしい。本来の名前の意味とはいささかズレたが、なんだか有意義に感じた会話だった。それにしても俺は英語まだまだだなと痛感。オーストラリアになっただけでこんなになっちゃダメだ。難しいんだけど。夜10時を回ったところで、背もたれを上げてベッドを使った。今まで関係なさげに内輪で話していた中国人が手伝ってくれた。ありがとうと一礼。サンキュー。日中に買った毛布を出す。十分あったかい。マットは大荷物のせいでスペースがなさそうだ。しばらく読書をしていると眠くなってきた。本を置いてじっとしていたら、スコーンと寝てしまった。


------------------------------
12年後のコメント
悩める大学生らしい日記になってきました。これだけ時間が経つと、恥ずかしさを通り越して微笑ましくもあります。バナラシは全体的に汚く、空気も悪くてあまり印象は良くなかったですが、生と死や文化の違いについて考えさせられる街でした。読み返していて、「三茶とか世田谷とか言わせてわけが分からない」ってところが一番面白かったです。あと思い出深いのは"Katsudan"ですね。これに限らず、たけしは何でもうまいと言って食べていたような記憶があります。
 

(無題)

 投稿者:津田沼  投稿日:2017年 3月26日(日)18時53分26秒
  出張お疲れでした。

何が折衷案なのかよくわからないけど(笑)もう24時間卓球はできる気がしないなあ。
ヘタレですみません。普通に卓球ならできるよ。
丸さんとは二年前くらいに渋谷でやりましたかね。
私が完勝でしたけどね。

戻りまして

シャンティロッジの夜の遊園地のことは、4日目に少し書いてます。印象が薄くてほとんど記憶がない。

バラナシでたけしが食べた日本食のことは、この後の8日目の日記で出てきます。
 

(無題)

 投稿者:ルワンダ  投稿日:2017年 3月 5日(日)08時16分17秒
  2月にインドに出張してました。

丸さんの気持ちもわかりますし、サンドさんの日誌も早く読みたい気持ちもありますね~。
まぁ折衷案でそろそろ、つぎの目的地を決める24hours ping pong の会場を決める会議でも始めましょうか?
第一候補  日本海側
第二候補  本納
第三候補  宇都宮

戻りまして、
マルコはなんかいいヤツでしたね。
同じクラスにいたら、休み時間、一緒に卓球して、、インドにくるようなヤツだった気がします。
住所はないかなー。

シャンティロッジの夜、ふざけた遊園地つれてかれませんでしたっけ?

ガンジス川は聖地というだけあり、異様な雰囲気でしたよね。小さな子供に道案内してもらったのを覚えてます。
入り組んだ路地を歩き回ったのを、とても異国情緒に溢れて、覚えてますわー。

あとバラナシで日本食食べませんでした?
カツ丼食べた気がします。

う~ん、ちょっと卓球しましょうか?

 

(無題)

 投稿者:津田沼  投稿日:2017年 2月26日(日)21時17分4秒
  そんな、一ヶ月空けたのに早いといわれても^^;
月一ぐらいで更新しないとそのままずるずる行ってしまいそうなんです。
宙ぶらりんでいるのもそわそわするので、定期的には書かせてください。
読みたがっていたたけしをあまり待たせるのも悪いので。

振り返りはそれぞれお時間ある時でいいのでは。
いつ見るのかわからない人もいるし。

シャンティーロッジという名前、すっかり忘れてた。
老夫婦は未だ思い出せない。多分丸さんと話し込んでいたんでしょう。
お前がアンバサダーか。それは俺も聞いた覚えがあります。

さて次の8日目(バナラシ-ジャイプル)は長めの日記です。
5日目ほど長くはないですが。
じわじわ文字起こし進めていきます。
 

シャンティーロッジ

 投稿者:ウルトラマン商店街  投稿日:2017年 2月26日(日)16時15分18秒
  だから早いって!土日もいっぱいで、娘の寝付いたタイミングしか
ゆっくり出来ませんので。

成田に向かう寸前に掲示板へ投稿した。
『夢を叶えに、3年越しの思い。』『インドー!』

どっちがタイトルで、どっちが内容だったか。
たけしのスーパーのビニール袋。空港のグランドスタッフの女性に
渡そうとして、すごい困ったような怒ってるような顔されて。ほんとやったんだよな。
成田では、帰ったら何を食べるか話あっていたと思う。
結局、実際帰国したときは、案外疲れてすぐ帰ったと思うが。

バンコク経由だったのも忘れているが、空港に降り立ったときの
ウイスキーを飲んだように、胸があつくなる感覚は覚えている。
最初の宿では、一人ソファに眠りながら。初日の成功は
旅の成功に違いないと思っていて、それ以降の旅でも意識している。
最初が大事と。

アクラの宿は、シャンティーロッジ。あの屋上は旅の象徴。
何故か当時、土曜にやっていたスーパーサッカーのオープニングの
場面とシンクロしたイメージ。朝焼け、鳥が羽ばたいて空に向かう。目の前にタージ。
あそこに泊まれたのは奇跡。旅をしていた日本人老夫婦を覚えていますか。旦那さんの方は、タージマハル2回目とかで、「人の墓に喜んで2回も来るやついるかよ、ばかばかしいよね」ってでも奥さんが来たいというので、とか言いながらまんざらでもない感じ。奥さんの方がしゃべり好きだったのか、日本語に飢えてたのか話が長い長い。世界を旅しているが、
一番は、中米のベリーズ は絶対に行って欲しいという事だった。
いまだ行っていないが、いつか行くだろう。人生でこういう何でもない約束こそどっかで守りたいと思う。
シャンティーロッジからなんでもない小道を入っていくと普通の庶民生活が垣間見れたところがすごい。
説教おやじの件は、帰国後俺も掲示板に書いた覚えがある。
恥ずかしいこと書いたと思うが、当時なりの反省でしょう。
お前がアンバサダー なんだと言われたのは、はっきり覚えている。

という事で、やっとアグラ二日目。
なかなか生活もバタバタで追いつかんのでストップストップ!
 

2005/02/22 7日目 バナラシ(2日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 2月24日(金)22時47分37秒
  今日で1週間。あと2週間だが体調を崩すと日本が恋しくなる。鍋焼きうどんが食いてーなーと心から思う。昨日よりかは調子が良くなってきた。朝食はベジタブルトースト(ヒドい。野菜がすべて生。玉ねぎ生とかマジで腹立つ)、ベジタブルスープ、レモンティーを頼んだ。少しずつ食欲も出てきた。屋上からのガンガーと対岸の町並みはとても綺麗だ。いっそう近づいたときの汚さが残念に感じられる。部屋に戻ると、みんなこの入り組んだルートを調べに。丸さんも調子が良くなってきたようだ。俺は大事を取って寝る。洗濯もした。みんなしばらくして帰ってきた。マルコに会ったらしい。とりあえずみんな寝るという。バナラシはものすごく体力を使う。特にあの強烈な異臭は耐えられない。みんなくたばっていた。その間俺は読書。『異邦人』に続いて『浴室』を読み終える。夕方になり、ボートでガンガーを渡るため外出。一人20ルピーで乗せてもらう。強引な船主だった。ちょうど日の入り時で、少し曇っていたが、真っ赤な夕日が西側の街並みで沈んでいく瞬間が見れた。対岸に着くと、全体が砂地となっている。不浄の地とされているらしい。軽く砂漠みたいで対岸の汚れっぷりとは大きな差が。その対岸では死体を焼いているところや、セレモニーをしているところも。砂地を歩いていると、プージャで案内してくれた子供が。しばし遊ぶ。船で戻り、メシを食う。スパゲッティ(伸びてる)とスープ(具が少ない)を食べる。明日は早起きして沐浴を見るんだと意気込んでみる。今日は曇りだったし、起きたの8時だったし。そろそろ体調も良くなってきた。明日は夕方からジャイプルだ。19時間ぐらいかかるか、大変だー。


------------------------------
12年後のコメント
日中街の散策をしていた皆さん、補足よろしくお願いします。船でガンガーを渡り、夕日を見て、対岸で子供と少し遊んだのは楽しかった思い出。写真を見ると、たけしが子供に袈裟固めをかけています。

 

2005/02/21 6日目 バナラシ

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 2月24日(金)22時39分55秒
  朝になったのかはわからないけど、起きたら少し窓から光が射していた。ずっと電車に乗っていると時間の感覚がなくなる。とりあえずもうひと眠り。昨日のイビキバカがいなくなってやっと寝れた。しばらくすると起こされた。マルコだ。この駅だと言っている。実質12時間くらいでバナラシ到着。ものすごく熱っぽい。丸さんも元気がなさそう。まさよしさんとたけしは大丈夫そうだ。帰りのチケットを取ってしまおうということで、ここでマルコとはお別れ。たけしに「スイスに来るだろ?」と言っていた。たけしはマルコの住所をもらっていたので、いずれ会いに行くだろう。
外国人用オフィスを見つけ(ここでも嘘をつこうとする奴がいたが)、チケットを予約。プージャというゲストハウスへ向かい歩き出す。体は限界に近かった。ガンガーに近づき出すと道は狭く、入り組んできて複雑だ。なんとかたどり着く。その途中でガンガーが見えた。とても大きな川だ。聖地に名高いとでもいおうか。それにしてもこの道の不衛生さは目を疑う。ゴミや糞だらけでものすごい異臭。これでは聖地に名高くない。今までの三都市どこもそうだが、確実に破滅に向かっている。特にここは聖地ガンガーなのに。これ以上汚染されればどうなるのか。そんなこと言ってもしょうがないんだけど。破滅に向かってるのは日本もそうだし。プージャに着くと部屋が開くまでドミトリーで待機。昼頃に開く。それからずっと寝込んでいた。早く治さなきゃ。この日食ったのは夜の野菜スープだけ。これでは駄目だ。とりあえず寝て、回復を待とう。


------------------------------
12年後のコメント
たけしはまだマルコの住所持ってるんでしょうか?この日はとにかく体調が悪く、あまりいい思い出がないですね。
 

(無題)

 投稿者:津田沼  投稿日:2017年 1月29日(日)23時24分4秒
  今年はもういいんですかw
いや、年末の飲み会で同意を得ていたから連投してしまいました。
とりあえず、少し時間を置きます。ゆっくりやった方がいいですね。

今残ってる分の過去ログは取ったからご安心を。書いた端から消えるというものでもないみたいです。
2006年4月以前のが、いつぞやから消えてしまったみたいで残念ですが。

Old Friendsのくだり、全然覚えてなかった。いいセリフだね。そういう、一人しか覚えてないような記憶もあるはず。日記の投稿の後に他のメンバーからの補足コメントがあったらいいと思うので、ひとまず投稿先は掲示板にしませんか。たまにアクセスする人たちの目にすぐ留まってほしいというのもあります。

5日目までのところで、書かれていない思い出などあったら教えてください。
 

とりあえず、STOPで

 投稿者:ウルトラマン商店街  投稿日:2017年 1月29日(日)22時24分56秒
  追いつかないので。色々と。
いっぺんに載せ過ぎです。
今年はもういいくらいだ、時間をあけて下さい。やばいね。
初日の深夜タクシーでは、ドライバーから君たちは何者だみたいな問いに、
Old  Friends と言ったのを覚えている。バタートースト・・泣けるわ

あと、これを含めてキャパ的にはいずれ消えてしまうわけだから
なんかヤフーブリーフケースだっけ、わかんないけど
旅行紀行はそっちにリンク張ってみにいくとかでも。

 

タージ

 投稿者:パフェ  投稿日:2017年 1月29日(日)19時39分11秒
  タージの思い出は、あの鮮やかな白さと大理石をヒタヒタと裸足の足で歩いたことかな。

改めて良い旅だったなとサンドさんの日記から思いますね。

引き続き楽しみにしています!
 

2005/02/20 5日目 アーグラー→バナラシ(夜行)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 1月29日(日)19時05分42秒
  朝から爆音で音楽が鳴っている。昨日のお祭りの続きらしい。腹は治ってきたが喉が痛い。次から次へと大変だ。朝食を取りに屋上へ行くと、いつもより道に人が溢れている。今日はこっちの方で祭りがあるらしい。早速昨日行けなかったタージへ出発。外に出ると、太鼓の音が腹まで響く。ものすごい人で通れない。祭りの中に外国人がいるとものすごく子供達に絡まれる。祭りなので俺も縦にノッてあげると、さらに調子に乗り出した。引っ張られ片足の靴半分をドブに入れる。笑われた。恥をかいたもんだ。
なんとかタージの入口まで到着。入場料は750ルピー(外国人のみ)と馬鹿みたいに高い。しかし見る価値ありと払う。持ち物チェックを抜けると、そこはさっきの混乱ぶりとは打って変わって、静かな公園。前方には正門が見える。その奥にかすかにタージが。一同うろたえてなかなか前に進めない。とりあえず正門周りから攻めて行くことにする。10分後にまた集合とし、しばし探索。しかし正門前にはそんなに見所はなく、再び集合。いよいよ門をくぐる。するとその暗い門の中から、出口に向かって遠くにタージが見える。素晴らしい。門をくぐりついにタージの広場へ来た。ここからタージではまだ距離があるが、ここで線対称の妙を感じる。タージから門の出口までは真ん中にプールのようなものがあるのだが、それが中心線とも感じられてとても良い。皆自分とタージの中心を重ねて写真を撮る。ここでまた皆うろたえて前に進めない。また周りから見物。俺と丸さんはトイレに行く。丸さんはここで手拭き初体験。「紙はない?」と通りがかりの人に聞いたら「ここはインドだよ」と言われたそうだ。
再び皆集まり、話は「どこで長高ジャージを着てラケットを持ち写真を撮るか」に移った。タージのすぐ前にはたくさんの人が集まっていて、とてもできるもんじゃない。近づきつつ脇道に良いスポットがないか探す。すると人通りが極端に少ない通りとベンチを発見。しばらくそこで作戦を練る。もう少し進むと、木も被らずにタージがよく撮れる場所を発見、ここに決める。下にジャージを履くと、どんどん周囲から浮いてきた。丸さんとたけしは下のジャージを忘れたので市場で買ったやつだが、やっぱり本物の発色は違う。鮮やかすぎる。係の奴に怒られるかなと心配していると、ガードマンが歩いていく。逆にそいつに撮らせるのはどうかと頼んでみると、意外にもOK。カメラを2つに絞り、ラケットを握り、いかにもどこかのチームらしく超真顔で撮影。途中吹き出しそうになったけど、何とか成功。みんな達成感でいっぱい。
服を着替え、いよいよタージに近づく。見上げるくらいの近さまで来ると、細かい細工とかも見えてとても綺麗だ。タージに上がるには土足は禁止で、みんな靴下か裸足、もしくは靴にカバーをつける。俺らはもちろん裸足になり、大理石をヒタヒタと歩く。冷たくて気持ちがいい。タージは白く、光が反射してとても明るく見える。中の墓を見る前にまた周りから攻めることに。裏側に行くと川が流れている。乾季には干上がってしまうらしいが、今は水で溢れている。視界が開けていてとても気分がよい。途中赤ちゃんを抱っこさせてもらって撮る。快く許してもらって嬉しかった。かなり写真を撮り、タージの建築美に触れながら、30分ぐらいで一周して中へ。
入るとすぐに網で閉じられた下り階段があり、結構な人数がそこで小銭を階段の下の方まで飛ばすゲームをやっていた。テクニックがいるらしい。そこはとりあえず素通りして、墓の間へ。墓は金網で囲まれていて、一箇所だけ中が見えるようになっている。そこから覗くと真ん中に一つ、その左に少し大きめの墓があった。たぶん真ん中はムムターズ・マハルで、左のはシャー・ジャハーンだろう。世界史で習ったことを直に感じていると思うと嬉しいと同時に、本当にあったんだという気分になる。それだけリアリティを感じたんだろう。
外に出ると照り返しがとても眩しい。また皆探索に散らばる。俺と丸さんは芝生で寝転がることに。見上げればタージが。この景色を忘れないようにしようとじっと見つめていた。でもあまりに風景に溶け込んでいて、それが普通に感じられて、印象付けるというのが難しく感じた。やっぱり実際に触れた感じとかそういうのを大切にしたいと思う。それから博物館にも入った。シャー・ジャハーンの絵などがあったがやはりタージに勝る感動はなかった。みんな眠気と空腹を感じ、とりあえずホテルに戻ることにする。さよならタージ・マハル。次来ることはあるのだろうか?
ホテルに戻り荷物を取ると、変な男が「チケット取ったか?」と聞いてきた。「取った」と返すと、「見せてみろ」と言う。見せると、「これでは席が取れてない。俺がリザーブセンターに連れて行ってやる。そこは駅じゃない。リキシャーを呼んでやる」と怪しいことばかり言う。俺らもチケットについてはよくわからないので、近くにいた日本人のおばさんに聞いてみると、「よくわからない」とのこと。その間にも変な男が何やらまくし立てているのだが、最初に「お前はここのスタッフか」と聞いたらこいつは「違う」と言ったのに、俺らがいざ食堂に行こうとすると「俺はリキシャードライバーじゃない、ここのスタッフだ」と違いすぎることを言っていた。日本人のおばさんの話にもあったが「駅で確認するのが一番いい」ということだ。俺らもそうすることにし、とりあえず昼食をとろうとすると、ボスが食堂まで上がってきた。また何か話したがってたので、俺らもうんざりし"No"と言うと、「君たちは俺の客だからちゃんと案内したい。それなのにそんなだらしなく"No"というのは嫌いだな」と言う。このボスの話では、俺らは既に席が取れているから、その席の確認だけすれば良いとのことだ。そこで「じゃあさっきの男は何者だ」と聞くと、「リキシャードライバーだ」という。ボスは俺らが来るまでそいつと喋っていたし、俺らがチケットのことで色々言われていたのも聞いていた。それなのに何も言わずにわざわざレストランまで来たのは、きっとそいつとの関係が大事なんだろう。「でもあいつは俺にリキシャードライバーじゃないって言ってたぞ」と言うと、「それは彼には言ってはいけない。胸にしまっておきなさい」とボスは言った。やはり何かあるのだろう。俺らは納得し、飯を食った。まさよしさんとたけしが「お前信じかけてただろ」と俺に言ったが、それはしょうがないことだ。なにせチケットのことは知らないんだから。でも駅とは違うとこにあるとかで警戒はしていた。それでも会話していたのは俺だけだから不安になるのもしょうがないじゃん。まあ騙されなかっただけ良しとしよう。飯を済ませて降りると、あのリキシャードライバーはいなくなっていた。何なんだよ。
駅に座席を確認しに行くと、駅員が番号を書いてくれた。やはりボスは正しかった。そこで前々からホテルで見ていた人に会う。色々話していくうちに、彼はスイス人で四ヶ国語がしゃべれてインドには3ヶ月いるつもりだということがわかった。意気投合して写真を一緒に撮る。するとどこかレストランでもと誘われ、行くことに。しかし駅の周りにはレストランはなく、結局近くの出店でチャイを飲むことに。そこで初めてお互いに自己紹介。名前はマルコというそうだ。チャイを飲んでいると子供たちがヒンディー語で何かねだってきた。俺らはいつもなら"No"と言って追い返すところだが、マルコはそれだけでなくヒンディー語を調べて、「あっちに行きな」とか「名前は何だ」とか聞いていた。子供たちは無邪気に笑う。きっとこの子たちにとって物乞いは遊びに近いのか自然にやっていることなのか、心までは病んでいないのかなと思った。子供二人がケンカしだしたらマルコは注意し、挙句の果ては「君達にあげたら全員にあげなきゃいけないだろう」と説教をした。とても優しく。英語がその子達にはわからないのだが彼の姿勢は素晴らしいと思った。チャイの代金を払うとすると、マルコはおごってくれた。彼は二コ上らしいがもっと年上に感じた。
駅に戻ると、昨日の説教オヤジと会った。「お茶でもどうだ」と。「電車までは時間があるだろう」と。相変わらずマシンガントークだ。しばしマルコと長い会話が始まる。まとめると「お前は俺をどこまで知っているのだ」「いや君は僕を知らないだろう」というものだった(多分)。一通りお互いを理解したのか、会話は終わった。
マルコはこの駅にあったレストラン(あのオヤジは高いと言っていたが全然そんなことはなかった。やはり怪しいなと思う)で水を買うついでに何か食べていくと言って入っていった。俺らも入ろうとすると、またあのオヤジが。もういいよお前は。何とか振り切って入る。まさよしさんはマルコのデジカメで今までの写真を見て楽しそう。たけしはインド初のパフェを食って満足そう。丸さんもアイスだ。俺もこれから12~15時間は食えないだろうとカレーセットを頼む。改めてインドの米のまずさに苦しむ。ここでしばらくゆっくりしていると、すごく寒気を感じた。喉がずっと痛かったがついに来たか、熱が。まだ中盤でもないのに…。電車に乗って寝転がる時には完全にぐったりしていた。途中マルコが俺たちの席に来て、俺のウエストポーチに触れるというイタズラをした。ホントびっくりした。もうあまりいいリアクションもできないくらいだったのだが、これから長い電車の旅。とりあえず寝ようとするととなりのインド人の激しいいびきが。殺意を覚えた瞬間である。結局寝れたり寝れなかったり。ああ、厳しいところだなインドは、と改めて痛感。


------------------------------
12年後のコメント
タージの正門前から始まり、周囲から攻めていく過程が細かく書かれています。それにしてもよくあんな写真が撮れましたね。「あまりに風景に溶け込んでいて、それが普通に感じられて、印象付けるというのが難しく感じた」というこの気持ち、わかるという人いませんか。大理石の上を裸足でヒタヒタと歩く感じ、こういう感触はすごく残っているんですが。
ホテルでのチケット関係のトラブル。経験不足がモロに出ています。この日記は誰に見せるつもりもなかったのでボヤキも書かれていますがお許しを。当時もボスの気持ちについてはちゃんと汲み取っているように思いますが、今ならもう少し実感を持って理解できそうです。それにしても当時マルコは22、3ですか。なんとも落ち着いていて大人でした。やっぱり旅慣れていたんですかね。
 

2005/02/19 4日目 アーグラー(2日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 1月29日(日)18時59分15秒
  今度は起きると腹が痛い。ていうか胃が。朝食を食べに屋上まで行くと、早朝のタージ・マハルが見える。朝もまたいいもんだ。ふと見ると、丸さんの手にはラケット&ボール&ネットが。屋上で卓球かーと思っていたら、あるインド人が「卓球やろう」と言ってきた。協力して二つの机(石製)をつなげて、タージをバックにインド人と卓球勝負という丸さんの理想が出来上がった。写真撮りまくり。なぜか俺だけ負ける。ラケットが違ったからだよと言い訳とかしてみる。でも"weakest"呼ばわりされた。飯が来たので卓球は終わり。ここのチャイはまた味が違う。砂糖入ってねんだもん。
部屋に戻り、チケットを取りに駅へ。しばらく歩いてリキシャーを拾う。値段もまともだったし。駅で予約をしていると、妙なオヤジが何やら言ってきた。聞こえなかったので"No, thank you"とか言うと、「何怒ってるの?」と返してきた。腹が痛いんだよと説明する。その後もそのオヤジはチケットカウンターまでついてきた。楽しく会話(?)していると、丸さんがふと独り言みたいに昨日デフがふざけて言った言葉をつぶやいた(つまりイヤらしい言葉。「ジギジギ」という)。その瞬間、オヤジの顔が急変。落ち着いた声で説教を始めた。内容をまとめると、「日本人は本当にいい人間だが、君たちは国の代表としてインドに来ているのを知ってほしい。今の言葉は私に不快感を与えた。君たちが尊敬されるにはインド人を尊敬しなければならない。旅はただ見物をするだけでなく学び取ることも大切なのだ」と。不用意な言葉でここまで発展するとは。しかも驚くほど正論だ。言葉には気を付けようと思う。特に異文化においては。オヤジはさらに、俺に旅において何が必要だと思うと聞いてきた。俺は「柔軟な心」と答えた。通じたかわからないがオヤジは「大きな我慢と時間」と言っていた。「この国では足元を見るやつはたくさんいる。それに耐えて、初めて心を開いてほしい。」オヤジはたしか、「批判はいい。しかし相手を知らない批判は使い物にならない」とも言っていた。本当にこいつは正論ばかり。その後に「何を学んでいる?」と聞かれた。「国際政治」と答えると感心した様子だった。「それなら旅をするのは本当にいいことだな」と言っていた。俺も頷いた。チケットが取れて、いざ帰る時にはオヤジはもういなかった。これで何か金絡みのことをあいつが言ってきたら興ざめだったが、本当にあいつはただの説教好きだったんだろう。いろんなやつがいるなと改めて思った。
リキシャーを捕まえ、ホテルの近くまでと言うと「セブンティーン」と言ったのでまあまあかと(5~10ルピーは確実に騙しらしい)思い乗り込む。近くまで来ていざ降りると17じゃ不満そうだ。よく聞いてみると70ルピーと言っている。ちゃんと発音しろ!と思ったが、人だかりができてきたので払った。これが大金になったら恐ろしいことだなあ。
ホテルに戻るとクタクタで腹も痛い。女の子が「ハロー」と握手を求めてきたがあまりにしんどくて無視してしまった。そしたら「何よー」みたいな感じで軽く怒っていた。申し訳ない。この日はタージにも行かずゆっくりすることに。みんな必要な物を買いに行ったが、俺は寝込んでいた。その後インド初下痢をするのだった…。夜、デフの案内で祭りへ。雰囲気があってとても良かった。遊園地みたいなところはどうでもよかったが、ミュージカルみたいなものは太鼓が素晴らしかった。内容はタージの由来についてみたいだった。帰ってから、これからのルートについて話し合う。やはり移動がネックだ。行きたいところすべてには行けなそう。しかしこれは皆の旅だから。とりあえず腹が治ってくれれば。


------------------------------
12年後のコメント
早朝のタージをバックに卓球。ちょっと朝焼けのような天気で、すごく綺麗でした。
皆も覚えているであろう説教オヤジ。この後もう一回出てきます。彼は本当にただの話し好きだったんでしょう。こうした会話や、トラブルの類は割と細かく書いています。写真には残らない記憶かもしれません。
体調が悪くなってきたらしく、この日の日記は字が荒れています。
 

キター!

 投稿者:ビニール袋  投稿日:2017年 1月28日(土)22時10分55秒
  サンドさん!

待ってました!
めちゃめちゃ面白い!
かつ、センチメンタルな感じ!

いや~楽しみですわ~

 

2005/02/18 3日目 デリー→アーグラー

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 1月28日(土)18時53分39秒
  起きてみるとのどが痛い。まさよしさんにうがい薬を借りる。朝食を食べに下へ。昨日「明日もチキンで!」とか言っていたのに、いざまさよしさんから出た言葉「バタートースト。」慌てて別の注文を考えた。たけしはスペシャルブレークファストにだまされる。スペシャルじゃなかったのだ。俺はフレンチトーストのまずさに絶句。丸さんはスパニッシュライスとかいうフザけたメニューで朝食を済ます。もちろんチャイも忘れずに。さて、チェックアウトしなきゃ。コックともしばしのお別れ。みんなと写真を撮る。
駅に着くと4番ホームへ。ここでたけしが、座っていた子供たちに写真を撮ってあげた。いたく喜ばれ、赤ん坊を抱っこして撮ってくれないかと頼まれるたけし。嬉しそうだったし、微笑ましい場面。電車に乗ると俺らの席に白髪のオヤジが。どいてもらって、何とか落ち着く。途中、そのオヤジと仲良くなる。落ち着いていてジェントルマン。俺は電車の音と重なってしまう英語が聞き取れず、耳元で話した。駅員のチケット確認や売り子が何を言っているかもよく聞こえない。"difficult to hear"と言うとオヤジは笑ってくれた。降りる駅も教えてくれ、オヤジに感謝。別れ際に1枚撮った。もう二度と会わないだろうが、とてもいい人だった。
アーグラー・カント駅に着くと、いきなり「タージ・マハル?乗ってけ」とリキシャーの誘いの嵐。全てシカトしとりあえず歩き出す。途中、日本人女性と会う。監禁(!)されていたらしく、いろいろ教えてもらった。再び歩き出し、観光局を見つける。政府のもので大丈夫そうだ。中に入り地図をもらう。タージまではかなり長かった。この日タージは定休日で、ホテルを探す。屋上からタージが見えるという日本でも有名な(安いけど)ホテルへ。屋上に上るとまさに絶景。本当にタージ・マハルだと感動。街を一望できる眺めは最高だった。夜、ビールを飲みながらウェイターのデフと話す。楽しかったが人が集まってきたので退散。1日ぶりにシャワーを、っていうかカランで風呂に入る。疲れたので就寝。チャイ賭けポーカーでかなり負けてしまった。


------------------------------
12年後のコメント
この日の朝食のくだり、皆覚えてますか。デリー→アーグラーの電車の旅は適度な距離で、良い人との出会いもあり楽しいものでした。アーグラー・カント駅からタージ近くまでは大分歩きましたね。調べてみたら10km近くあったみたいです。2月なのに暑かった記憶があります。
 

2005/02/17 2日目 デリー(2日目)

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 1月28日(土)18時44分2秒
  朝起きると、ハトが窓にぶつかっている。巣があるのか、わからなかったが、窓から少し見えるデリーの街は雑然、という感じだった。朝食はトースト、カレーなどのバイキング。トーストはしけた麩菓子みたいに固かったが、カレーはうまい。辛いけどスパイスの味が、うま味が!美味しく食べた。
チケット探しに外に出ると、いきなりバク転を繰り返す女の子が。お金をくれということだ。いきなりそういう演技ものだと、ちょっとかわいそうな気にもなった。駅までチケットを取りに、リキシャーに初乗り。楽しいー!と思っていると、横から並走してくる奴が。そいつに止められ、二手に分けられ、着いた先はニューデリー駅でも何でもない観光局。やられたと思い、ふてくされて飛び出す。
自力で歩いてニューデリー駅まで。色んな人に道を聞きながらなんとかたどり着く。途中、俺と丸さんが向かって歩いてくる犬にビクッとすると、犬もビクッとした!狂犬病は恐いとはいえ、ビビりすぎもよくないなあと反省。
駅の二階に外国人用受付があるのだが、階段の手前で止められ、「となりだとなりだ」としきりに言われる。でも看板には思いっきり"International"って書いてあるから!と一通りどなると、あきらめたのか、帰っていった。なんとか予約も取れ、市場を通りホテルへ。ここで初めて、市民の生活を目にした気がした。ホテルに荷物を置きまた市場へ。反物屋に「金子」の名前入りジャージを着たインド人が。ルンギを買って、ホテルに戻った。遅れて食った昼飯はチキンカレーで、とてもうまかったが、店員(コック)に"No good eating"とダメ出しをくらう。これに奮起した一同は夕飯もチキンを頼み、見事に骨の髄まで(ある者は骨ごと)食い、コックに認められる。とてもいい奴だった。この日はバタバタとしながら、消灯のため就寝。掛け布団がなく、寒い思いをする。なんせ一泊50ルピー(約125円)だからさ!


------------------------------
12年後のコメント
朝起きたらハトが窓にぶつかっている。このことはなぜか印象に残っています。その時の空が曇っていたこととか、朝のデリーの雰囲気もそれにくっついて蘇ってきます。小さな出来事で記憶が喚起されることがありますね。
しかし初日から悪戦苦闘、いい経験をしています。チキンのくだりはこの前も丸さんやたけしと話しましたが、これは現地の人との楽しいやり取りでした。
 

2005/02/16 1日目 東京→デリー

 投稿者:インド旅行記2005  投稿日:2017年 1月28日(土)18時39分7秒
  今日からついにインド!千葉でみんな落ち合ったが、たけしがいきなりスキンヘッド&ビニール袋。丸さんは上着の下に長高ジャージ。
成田ではサーモンとほうれん草のスパゲッティを食った。その横でたけしは抹茶パフェ。これで三週間、まともなメシともお別れ。
出発は30分ほど遅れたか、13:00ごろに離陸。すぐにオレンジジュースが配られたが、さっそくまさよしさんが警戒。当然毒は入っていない。機内ではスチュワーデスも民族衣装で、一般人と見分けがつかない。でも男のアテンダントはやさしかった。そのころ読みかけの『不思議の国のアリス』を読み終える。タイのバンコクに着いて、多数の仏教徒?が乗り込みだすと、雰囲気がますます変わってきた。9ヶ月も会議をして、やっとのことで、本当にインドに着くんだと、すごく興奮。
でもなかなか着かず、結局デリーには24:00を回ってから。ホテルの迎え探しに苦戦した。だってホテルの会社名を知らなかったから。今までの知識を全て使って英会話。通じる通じる。聞き取りはやっぱりキツい。車に乗ると、花の首飾りをもらう。うれしかったが、まさよしさんは「くさい」とつぶやいた。車中でも会話をわりと楽しむ。迎えに来た人の名前は忘れたが、その名は英語で"welcome"の意味だそうだ。途中リッチなホテルを通過し、「フェイントだ」とボヤいていると、牛が平然と通ったり、犬(恐い)がうろついていたりと、デリーの夜の雰囲気を間近で感じた。交通ルールはほぼなく、クラクションはずっと鳴るが、牛は穏やかな顔をしていた。
ホテルに着くと、部屋に案内される。さすが中の上、上の下くらいとあって、天井高い、お湯が出る、紙があるとうれしいことばかり。ちなみにテレビもあり、インドのテレビ局は大体歌って踊ってるのがほとんどだ。MTVもあった。とりあえず明日はアーグラー行きのチケット予約だ、と就寝。旅は始まったのだ。おそらく人生でも重要な位置の一つとなりうる旅が始まったのだ。俺は世界地図の上のあのインドの位置にいる、と思うだけで不思議と感慨深かった。


------------------------------
12年後のコメント
この頃はまだその日見聞きしたことのすべてを書こうと思っていなかったので、端折られているところもかなりあります。空港で、たけしのビニール袋にキーロックをかけて検問に通したところをなぜ書かなかったのだろうと不思議です。
今読み返すと、デリーの夜の雰囲気を思い出します。クラクションの中で牛が穏やかな顔をしている、とはこれぞデリーといった感じの風景ですね。

 

レンタル掲示板
/19